西洋美術研究 |
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1999年3月刊行 1999年3月/A4判変型並製/200頁/ISBN978-4-88303-055-2 |
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小佐野重利
デトロイト美術研究所の小作品について、E.ホール説に与する立場から、画家ヤン・ファン・エイクに画中の聖人を枢機卿
N.アルベルガーティの扮装肖像として描かせ、枢機卿への同作品の贈呈に関与した人々にその意図を確認せしめるにいたる当時の心性史的、文化史的な背景を振り返る。そして、制作背景と所蔵の変遷および所蔵の様態を再確認して、15世紀に、この個人用途の小品がいかに所蔵され享受されていたかを明らかにする。 京谷啓徳
レア・シルウィアの水瓶とアエネーアースの盾 スキファノイア宮殿「12ヵ月の間」装飾壁画の図像解釈の新たな試み スキファノイア宮殿「12カ月の間」装飾壁画の「12月」上段および「9月」上段には、不自然な大きさと形状を有する水瓶と盾が描かれている。本稿は両モチーフの典拠を指摘することによって、壁画の注文主である初代フェッラーラ公爵ボルソ・デステをローマの建国者ロームルスに比して称揚する図像プログラムが仕組まれていたことを明らかにする。 中村俊春
ルーベンス作《戦争の惨禍》 マルスとヴィーナスに関する説話・寓意・図像表現の伝統からの考察 《戦争の惨禍》には、ヴィーナスの制止を振り切ってマルスが戦場へと赴く様子が劇的に表現されている。古来、2人の結びつきを平和の保証とみなす寓意解釈が確立しており、ルーベンスは、「結びつき」を「別れ」へと反転させることによって、「生きた寓意画」の創造に成功したのだ。しかし実は、2人の関係は美術においてエロチックに表現されることが多く、そこから政治的に効果的なメッセージを生み出すことは容易ではなかった。 オスカー・ ベッチマン
(平川佳世/翻訳) ジョヴァン・ピエトロ・ベッローリの絵画記述 ベッローリは、絵画記述において「単なる翻訳者」たることを自認したが、それは絵画要素を「寓意」等の意味のつながりへと置換することを示す。彼の「沈黙」の発言は、もはや単なる修辞ではなく、雄弁術に対する諸芸術の根本的な優位を意味し、詩と絵画の差についても、語りの連続性と同時性という結論へと至っている。総じて、彼の目的は、時の流れの中で朽ち果てる運命にある絵画作品を、記述によって後世に伝えることにあった。 三浦篤 失われた絵画とサロン批評 ファンタン=ラトゥールの《乾杯(真実礼讃)》をめぐって ファンタン=ラトゥールの《乾杯!( 真実礼讃)》は、1865年のサロン出品後に作者が切断した。本稿では準備素描と網羅的に調査したサロン批評を用いて、この失われた作品の再構成を試みた上で、寓意性と現実性が葛藤を起こす19世紀フランス絵画における裸婦の表象、マネを中心とする1860年代の新しいレアリスム絵画という文脈、そして近代に顕著な芸術家の集団肖像画という視点から、この忘れられた重要作を詳細に分析する。 圀府寺司 消えた「烏」と「麦畑」 現代の映像作品におけるファン・ゴッホ物語の解体 ファン・ゴッホにまつわる物語は、伝記小説、展覧会、映画などさまざまな「言語・イメージ」メディアによって語られてきた。そこではしばしば、語られる内容の真偽よりも物語としての「真実らしさ」が重視される。本稿ではファン・ゴッホにまつわる物語の結びと、その結びとして頻繁に使われてきた絵画《烏の群れ飛ぶ麦畑》をとりあげ、それらの神話的意義を論ずるとともに、近年の映像作品における神話解体の現象を分析する。 加藤哲弘 イメージとテキスト :物語絵画と解釈の問題 どのようにすれば、学問的な解釈はイメージによる物語叙述に適切な方法で接近できるのか? 物語絵画は、言葉による叙述と比較してみた場合、物語をいったいどのように「語る」のか? これらの問いを念頭におきながら、まず文学研究における物語論や読書行為論などの研究成果を概観し、つぎに絵画研究における同様の試みを批判的に比較検討することで、絵画における物語叙述を読み解くための新たな解釈戦略を探ってみる。
木俣元一 Pro lectione pictura est? グレゴリウス1世、イメージ、テキスト
秋山聰 テクストのなかのイメージ、あるいはエクフラシスをめぐる 文献研究
木俣元一 M. Schapiro "Words, Script, and Pictures: Semiotics of Visual Language"
宮下規久朗 「ベルガモ、ロレンツォ・ロット」展 佐藤直樹 「デューラー、ホルバイン、グリューネヴァルト」展、 「ホルバインの大使たち」展を見て 富井玲子 「ジャクソン・ポロック」展
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