西洋美術研究 |
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2001年3月31日発行 2001年3月/A4判変型並製/216頁/ISBN978-4-88303-075-0 |
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高階秀爾 佐々木健一 小佐野重利 身体表現 ――特集にちなむ
サルヴァトーレ・セッティス 古代美術における瞑想、逡巡、後悔の図像 身振りの言語は実生活の中に生まれながらも、美術の図像に取り込まれて特定の意味を与えられる。その意味は強制された様式的尊厳の記号へと凝縮されねばならないが、一度その図式が定まると、図像として広い範囲で造形文化の中に入り込む。その到達点は記号としての画像である。本稿では古代美術における瞑想や逡巡、後悔の図像作例を具体的に取り上げながら、その過程を追跡する試みを行う。 マリーア・ルイーザ・カトーニ 若者がサテュロスになるとき 古代ギリシャでは、節度を弁えぬ飲酒や羽目を外した踊りを特徴とするコーモスはサテュロスを連想させ、秩序正しい市民のまじめな語らいの場である饗宴とは本来明確に区別されていた。紀元前6世紀に定型化したサテュロス的踊り「シキンニス」は、秩序からの逸脱の指標となった。壺絵師は、この指標を活用して饗宴場面にもサテュロス的人物を描き、そうすることで饗宴参加者に正しい飲酒について省察させる機会を与えていた。 小佐野重利 絵画にみる身ぶり解釈の有効性もしくは限界 「ハルポクラーテスの身ぶり」と婚約の一齣の身ぶりを再検討した上で、『ジャック・ダリウェの手本帖』中の世俗的人物群像の身ぶりを中心に、中世末から近世初めの世俗描写における身ぶりの曖昧性を浮き彫りにする。「海から上がるウェヌス」の神話を実際のモデルを使い再現連続描写したピサネッロ素描の裸婦とルネサンス舞踏の身のこなしとの類比を踏まえ、ルネサンス舞踏理論と15世紀イタリア絵画の動きの表現との関連を探る。 宮下規久朗 カラヴァッジオの身振り――表出から象徴へ カラヴァッジオの作品においては身振り表現が重要な位置をしめており、それは作品の主題解釈とも関係する。《聖マタイの召命》では、画面のうちで誰がマタイかという論争があるが、これを説く鍵も登場人物の身振りにあるようである。また、カラヴァッジオ作品にはしばしば両腕を横に広げる「オランス」型の身振りが見られる。反宗教改革期に流行したこの身振りが、カラヴァッジオ作品においてもっていた意味を探る。 マリヴォンヌ・セゾン 俳優の演技 18世紀ドイツの哲学者、劇作家ヨハン・ヤコプ・エンゲルの『身ぶりのための考察』(1785-86)は、俳優の身ぶりと演技に関する理論書として1795年に仏訳された。それまでは弁論術と絵画をモデルとしていた演劇の身体言語を、精神と肉体の関係の問い直しとともに再考したこの著作は、俳優の身ぶりが音楽をモデルとして描写から表現を志向するものと捉えており、演劇史のみならず、芸術史全般とも通底する重要な身ぶり論となっている。 田中正之 アリアドネ・ポーズとウォルプタス 本論は、ヴァチカン美術館所蔵の《眠れるアリアドネ》に代表される腕を頭の上に回して横たわるポーズが、「神との合一」を表し、「美徳としてのウォルプタス(快楽)」と結びつけうるものであることを指摘する。そしてそれが「野卑なウォルプタス」へと横滑りしていくことによって、性的官能性を伴う横たわる女性像の定型表現となったのちも、マティスやピカソの作品に高貴なウォルプタスとの結びつきが見出しうることを論じる。 山田憲政 フェルメールが約350年前に捉えた女性の身振り 古代から膨大な数の画家が、静止した平面に自然や生命体の運動を埋め込むという難題に取り組んできた。その中でも17世紀の画家フェルメールは、些細な運動の瞬間を捉える写真的な画家として高く評価されている。では、その運動を捉える技法とは如何なるものか。本稿は、フェルメールの代表作《牛乳を注ぐ女》に埋め込まれた動作を分析し、運動という観点からフェルメールの絵画技法を検討する。
片山英男/翻訳・解題 「ジョヴァンニ・ボニファッチョ『身振りの術』」 浦一章/翻訳・解題 「グリエルモ・エブレーオ『舞踊の技と実践』」
芳賀京子 Richard Brilliant, Gesture and
Rank in Roman Art 森雅彦 Daniel Arasse, Le sujet dans le
tableau 深谷訓子 Harry Berger Jr., Fictions of
the Pose
宮下規久朗・中田宏明/編
荒屋鋪透 「ラファエル・コラン」展(静岡/福岡/島根/千葉/愛媛/東京、1999-2000年) 平川佳世 「ラファエロとローマの古典様式 1515-1527年」展(マントヴァ/ウィーン、1999年) 小林頼子 「フェルメールとその時代」展(大阪、2000年) |