西洋美術研究 |
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2006年4月30日発行 2006年4月30日/B5判並製/230頁/ISBN978-4-88303-166-5 |
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小佐野重利 ルネサンス期の宮廷芸術家たち
秋山聰 アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクは、ルターの最大の敵としてのみ知られている観があるが、当時のドイツにおいて最も優れた美術パトロンの一人でもあった。彼はハッレを宮殿都市化すると共に、宗教改革に対抗する牙城にしようとした。小論では、その核をなした共住聖職者参事会教会の造営事業中の聖遺物展観や聖遺物カタログ、扮装肖像画について考察することにより、アルブレヒトの美術パトロネージの特色を浮かび上がらせようとするものである。 中村俊春 チャールズ1世の招聘を受けてロンドンへと渡ったヴァン・ダイクは、常任主席画家に任命され、イギリスにおいて最も高い人気を誇る画家として活躍した。しかし、ベッローリの指摘によれば、晩年の彼は、肖像画制作に忙殺される現状に強い不満を覚えるようになったという。本論では、ヴァン・ダイクの肖像画制作の有り様について考察するとともに、イギリスにおいて、実際に彼がどの程度、物語画制作の機会を与えられたのかを、傑作《クピドとプシュケ》とも関連づけて検証する。 金山弘昌 17世紀絶対主義期の宮殿は、宮廷の活動に高度に適合した建築類型であった。とりわけ宮殿の空間構造は、宮廷活動の根幹をなす儀礼と密接に結びついていた。本論文では、数世紀に渡りトスカーナ大公の宮殿であったフィレンツェのピッティ宮殿の事例を取り上げ、トスカーナの宮廷儀礼がどのようにこの宮殿に反映しているのかについて、同時代の用法を参照しながら具体的に検証する。 大保二郎、諸星妙[共著] 1660年のファイサーネス島でのマリア・テレサの婚儀は、王宮配室長ベラスケスの最後の重要な職務であり、王宮の装飾事業に深く関わってきた彼の芸術家としての本領が最も発揮された場であった。特に、おそらくはその監督下に配置されたタピスリーは、復元案から推察されるとおり、スペイン側にとり、政治と宗教上の視覚的なプロパガンダであったに違いない。これを踏まえれば、《ラス・メニーナス》における自画像には、栄誉ある王宮配室長としての誇りが反映されていると考えられる。 大野芳材 1745年に美術行政の中心に座ったポンパドゥール侯爵夫人のおじ、ルノルマン・ド・トゥルヌエムは、美術アカデミーの数々の改革を行った。一方で親方組合から1723年に正規に誕生した聖ルカ・アカデミーも活発な活動を展開する。公衆層の拡大やサロンの定期的開催、フランス独自の美術の自覚という新しい環境の中で、アカデミー会員たる宮廷画家は近代的な画家へと変貌を遂げる契機を見出すことになった。
京谷啓徳
北田葉子 栗田秀法[解題]
杉山奈生子
クリスティアン・エック
小佐野重利、木俣元一[編]
ジャイルズ・コンスタブル 福音書にある姉妹マリアとマルタの物語は、中世ヨーロッパの注釈者たちから好んで取り上げられた。注釈者たちはこの物語の解釈を通じて、キリスト教徒の理想的生活について語ったのである。古代以来、一般にはマリアは観想を表し、マルタは行動を表すものとされたが、姉妹のいずれに優越ないし価値を認めるかは時代によって大きく変化した。この姉妹についての解釈の変容は文献史料のみならず、姉妹を描いた同時代の図像や絵画においても確認することができる。
渡辺晋輔 |