西洋美術研究 |
|
2008年9月30日発行 2008年9月30日/B5判並製/216頁/ISBN978-4-88303-231-0 |
|
圀府寺司 美術の動態地理学あるいはジオヒストリーに向けて
芳賀京子 アテナイは芸術文化の中心地として名高いが、古代を通じて彫刻活動の中心地であり続けたわけではない。本論では、署名碑文や古代文献から確認される全アテナイ人彫刻家を表にまとめた上で、従来の研究では狭間の時代として抜け落ちていた部分をも通時的に扱うことにより、アテナイ人彫刻家たちがいつ頃名声を獲得し、国外やギリシア世界の外側へその名声を拡大していったのか、彼らに何が求められていたのかを探ることにしたい。 木俣元一 ルイ9世(聖王)が獲得した荊冠を主とするキリスト受難の聖遺物を収容するため建造されたパリ、サント=シャペル(1248年献堂)を対象に、@建築の多重的シンボリズム、A聖遺物を中心に建築、モニュメンタルな装飾、聖遺物容器のあいだに機能する関係性、Bステンドグラスにおけるコンスタンティノポリスからパリへの聖遺物の遷座に関する物語叙述の特質などの観点から、カペー朝の宗教=政治的メッセージをめぐって考察を展開する。 岡田裕成 16世紀、征服後間もないメキシコでは、托鉢修道会によって創設された布教区の聖堂に、先住民画家の手になると見られる壁画が数多く描かれた。中でもイスミキルパン修道院の壁画は、ジャガーの扮装などをした先住民戦士の姿をあらわすユニークな例である。本稿では、支配者が植民地に向けたエキゾティシズムの幻想と、それを意識した先住民エリート層との交渉の跡を辿りながら、この壁画をとりまくイメージの系譜を明らかにする。 ロバート・ジェンセン 礒谷有亮[翻訳] 1912年のピカソとブラックによるコラージュ作品の登場とともに、キュビスムの理念は国境を越えて瞬間的に拡大した。それ以降、世界の各地でキュビスムは様々な形で用いられ、独自の活動が展開された。本稿では経済学における「革新」という概念を援用し、キュビスム伝播の地理学的な側面を考察する。それにより芸術活動の伝播程度とその速度の関連を、従来の美術史研究とは異なる新たな視点から捉えることを試みる。 池上裕子 1964年、ロバート・ラウシェンバーグによるヴェネツィア・ビエンナーレの大賞受賞を契機に、世界美術の中心はパリからニューヨークへと移ったと言われる。だがそもそも、戦後アメリカ美術はいかにして国際市場進出を果たしたのだろうか。本稿は、1960年代のパリにおけるイリアナ・ソナベンド画廊の活動に注目し、彼女が展開した市場戦略が国際美術シーンにおけるアメリカ美術の覇権を準備した経緯を検証する。 圀府寺司 1960年、「モダンアートの国民性と国際性」をテーマに掲げたAICA(国際美術批評家連盟)国際会議が社会主義政権下のポーランドで開催された。本論文は、いくつかのアーカイブの調査成果をもとに、1960年当時におけるモダンアートの国際性をめぐる言説の諸相を浮き彫りにするとともに、集団的パフォーマンスとしてのこの会議の歴史的、文化的意義を明らかにする。
京谷啓徳
ジェイニー・アンダーソン 鈴木慈子[翻訳]
小谷訓子
中村俊春
須網美由紀 |