西洋美術研究 |
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2009年12月25日発行 2009年12月25日/B5判並製/254頁/ISBN978-4-88303-258-7 |
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秋山聰 聖と俗のあわい
芳賀満 従来ヘレニズム文明は主に地中海世界において研究されてきたが、ギリシア文明圏外のオリエントへの伝播とそのギリシア化の研究こそ、歴史概念としてのドロイゼンのヘレニズムの定義に適うのみならず、逆にひろく西洋美術の特徴を顕わにするであろう。中央ユーラシアのバクトリア地方ギリシア系都市カンピール・テパからの新出発掘史料を軸として、ユーラシア大陸の西から東への、グローバルなヘレニズム造形言語の伝播と、そのローカルな解釈を、人類に普遍的な行為である接吻の図像を通して試みる。その極めて俗な行為の図像が、様々な宗教の文脈に於いてどのような聖性をなぜ帯びるのかを、オリエント側からの視座をも確保して探ってゆく。 アレクセイ・リドフ 秋山聰[翻訳] 奇跡はイコン画の中でではなく、その手前や周りで起こっているということに着目し、イコン画を核とする儀式空間が、イコンから発される聖性によりいわば「空間的イコン」と化すという現象を、独自の思考モデル「ヒエロトピー」を用いながら論じる。具体的事例としてコンスタンティノポリスにおけるホデゲトリア・イコンを用いた火曜日の儀礼を取り上げ、さらにこのイコンのコピーとそれに付随する儀礼の導入によりギリシア、ロシア、イタリア等遥か離れた地域にも「空間的イコン」が遷移されていたことを明らかにする。 久米順子 10-12世紀のイベリア半島北部レオン王国の王女たちは、神に身を捧げた身でありながら、ときに政治にも積極的に関与した。父から与えられた財政基盤(インファンタード)により経済的にも恵まれていた彼女たちは、初期スペイン・ロマネスク時代の重要な美術の注文主ともなった。本稿では、比較的資料の多いウラーカ王女(1101年没)に焦点をあて、その聖俗両界にまたがる活動と、そこで制作された美術の特性を考察する。 尾崎彰宏 オランダ美術を代表するジャンルである静物画は、一般には、宗教的主題が衰退するに伴い、静物画はそれに反比例するかたちで独立してきた、と考えられてきた。つまり、静物画とは世俗化の象徴的な存在であったということだ。しかしそうした見方は事態を単純化しすぎている。静物画は、ひとつには、宗教性や寓意性を伝えるために、鑑賞者の目を悦ばせる絵画ジャンルとして独立していき、いまひとつは、自然描写が脱宗教といった方向とは逆に、宗教性を喚起する仕掛けとしてもちいられたことによって生み出されたのである。静物画の勃興は、この2つのベクトルの交差として、つまり、聖と俗の戯れのなかで起こったのである。 喜多崎親 モーリス・ドニは、1890年の「新伝統主義の定義」の中で、ビザンティンのキリストと19世紀にアラブ風に描かれたキリストとを対比し、前者に宗教美術としての軍配を上げた。本論では、この意見に対する注解という形を採りながら、19世紀フランスの宗教画に於ける聖なるものの表象を巡るモード選択の問題が、始めから「再現的・写実的」と「非再現的・記号的」な描写を対立的に捉え、後者のみを選択するような明確なものではなく、より複雑で流動的であったことを提示する。 関直子 アンリ・マティス(1869-1954)が最晩年に手がけたロザリオ礼拝堂の装飾プロジェクトは、壁画とステンドグラスを軸とする理想的な展示空間を永続させることを目的の1つとするものであった。作家主導による展示空間の持続性を目指すマティスが、第二次世界大戦後、敢てこの南仏の宗教空間という場を選択した経緯を、戦後開館した首都の2つの近代美術館におけるコレクションの展示との関係を軸に考察する。 宮下規久朗 大衆消費時代の商品や有名人を作品化して、20世紀社会を映したウォーホルの芸術は、徹底的に俗の世界にありながら、濃厚にキリスト教的な聖性をたたえていた。晩年になって実際にキリスト教的な主題が表面に出てくるだけでなく、初期から一貫して作者の個性を捨象し、その手の痕跡を消去して作品解釈を社会に委ねるウォーホルの作品は、人間の手によるのではなく、作者が問われることのないイコンのあり方につながるのである。
木俣元一 京谷啓徳 高橋健一
平川佳世
セルジョ・マリネッリ 荒木文果[翻訳]
小佐野重利 森雅彦
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