西洋美術研究 |
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2012 年6月25日発行 2012年6月25日/B5判並製/240頁/ISBN978-4-88303-287-7 |
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長木誠司+野崎歓+中村俊春+三浦篤[司会] 芸術と検閲
ジャン = クロード・レーベンシュテイン
水野千依[翻訳] 教皇の礼拝堂に聖なる存在までをも全裸で描いたミケランジェロの《最後の審判》を、「場違い」、主題や場にふさわしい表現を求める規範「デコールム」を侵犯するものとした当時の批判を導入として、文化とデコールムとのたえまない闘争の諸相を論じる。「装飾」と「礼儀」という相反的意味をもつデコールムの語源と意味の派生を文献学的に示した後、この 2 つの価値、すなわち宗教的デコールムと芸術的自由の対立を造形作品や教会音楽において後づけ、さらにロマン主義以降におけるデコールムの崩壊と芸術の神聖化、そしてモダニズム以後に復活する新たなデコールムとの闘争にいたる長い歴史を、緻密な分析とダイナミックな思考を通じて提示する 。 木俣元一 本論文は、 13 世紀英国および北フランスで制作された『詩編』写本で、詩編 109 編のイニシアル D に見られる「詩編の三位一体」図像に関して、先行研究の主張とは異なり、他のコンテクストを経由することなくこの図像が成立した過程を再構成するとともに、 12 世紀までこの場所に適用された、昇天した子に父が右に坐すよう促す主題が継承されていることを指摘することで、同一の場が図像に対して働きかける規範の作用を明らかにする。 中村俊春 トレントの公会議以降、カトリック教会は、猥雑な肉体表現を厳しく批判した。しかし、その一方で、 17 世紀前半には、裸体を描いた大画面の絵画作品が人気を博した。本論では、ルーベンスが直面していた裸体表現に対する検閲の状況を検証する。さらに、ルーベンスがスペインのフェリペ 4 世の依頼によって制作した《パリスの審判》の制作、受容状況の考察を通じて、ルーベンスにとってのリアルな裸体表現の重要性を、彼のティツィアーノ芸術への賞賛と対抗心という観点から論じる 。 三浦篤 マネの《皇帝マクシミリアンの処刑》は同時代の悲劇的な事件を主題とする歴史画であるが、歴史画の基準を逸脱するその表現方法には体制批判と見なされかねない要素があり、発表に当たって政府から検閲を受けた。本論文では、油彩、リトグラフを合わせた 5 つのヴァージョンの制作プロセスを跡づけ、完成作(マンハイム美術館蔵)とリトグラフの発表を差し止める当局の通告に対して、マネがとった方策を検討する。共和主義を奉じ、反帝政の立場をとるマネと友人の批評家たちが手を組み、新聞雑誌で検閲批判を展開した経緯が推定されるのである。 大森淳史 ヴァイマル時代、ドイツの美術館は世界的に見ても稀なほど同時代美術に対して寛容だった。同時代美術の中心には、批評家によってドイツ的本質を体現する国民芸術の地位を与えられるまでになった表現主義美術があった。表現主義美術を真の国民芸術にすることが、国民教育の場としての美術館の課題となった。しかしそこには現実とのずれが存在した。また国民社会主義者の側でも、国民芸術なのか、退廃芸術なのか、表現主義美術への評価は割れていた。その不統一が解消され、表現主義美術の運命が決する 1934 年までの状況を見ていく。
秋山聰 京谷啓徳 野田弥生
水野千依[解題・翻訳] 寺田寅彦[解題・翻訳] 野田弥生[解題・翻訳]
小泉順也[編]
平川佳世 小泉順也
小佐野重利 加藤哲弘
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