あたらしい自画像
「知の護身術」としての社会学

[著者]ましこ・ひでのり

社会学というカガミをのぞきながら、自己像をえがきなおす!
現代という時空とはなにか? 自己とはなにか? 
「知のアクセサリー」ではない「知の柔軟体操」「知の護身術」
実戦的社会学を実践するために

[書評]
《朝日新聞》書評欄、2005年3月27日、評者:苅谷剛彦氏→記事を読む

定価=本体 1,800円+税
2005年1月31日/四六判並製/242頁/ISBN978-4-88303-154-2


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[目次]

はじめに 7

1章 身分社会と現代 11
 1. 時代劇と現代 11
 2. 「おとぎばなし」のカラクリ 18
 3. 「おとぎばなし」の舞台設定 26
 4. 「スポーツもの」の性別マーケット 35
 5. 近代社会と競争原理 39

2章 「めだつ/めだたない」の〈さかいめ〉 45
 1. 「援助交際」という社会現象をめぐって(その1) 45
 2. 「援助交際」という社会現象をめぐって(その2) 53
 3. 「少年犯罪」という〈社会問題〉(その1) 57
 4. 「少年犯罪」という〈社会問題〉(その2) 63
 5. 「問題化する=めだつ」ということ 67

【2章補足】強者/弱者の非対称性 70
  1. 社会問題の対象としての「相対的弱者」 70
  2. 戦略的に挑発する意味 71
  3. 売春批判=「正義」の論理的基盤 72
  4. 売春批判の〈ほころび〉をとおしてみえてくること 73
  5. 「売春する主体=身体」の意味 75
  6. 「くりかえされる社会現象」を客観視すること 77
  7. 「問題化」しなかった非対称性としての薬剤認可 79

3章 「パフォーマンス」としての〈わたし〉 83
 1. 〈わたし〉という現象 83
 2. 行動の必然と偶然 86
 3. 行動原理としてのシナリオと予測可能性 91
 4. 「演出」の産物としての〈わたし〉 97

【3章補足】社会学が想定する「役割」 100
  1. 「役割論」など社会学的系譜と、一般社会における「役割」像 100
  2. 近代官僚制と「役割」像 101
  3. 社会学のとらえる近代官僚制 102
  4. 複製技術/ロボット化/労働疎外 103
  5. 偶発的にみえる「個人的動機」の構造 109
  6. 「実社会」の社会分業と「舞台」の配役との同形性 111

4章 「自分」というナゾ 117
 1. 「自分」とそれ以外の境界線 117
 2. 舞台で演じられる配役の意味 120
 3. 「第二の皮膚」としての〈仮面〉と「人格の多重性/多面性」 126
 4. 当人が自覚できていない〈わたし〉 133

【4章補足 1】カラダの自己管理 137
  1.「自己決定」としての自分のカラダの処分 137
  2. 自明視されてきた意義再考 140
【4章補足 2】重層的/多面的な「自分」 146

5章 へそまがり「スポーツ解体新書」 153
 1. スポーツというナゾ(その1):「興奮のみなもと」 153
 2. スポーツというナゾ(その2):「限界への挑戦の意味」 158
 3. スポーツというナゾ(その3):「身体感覚の理想美としてのパフォーマー」 164
 4. スポーツにみる〈平等〉(その1):「クラスわけ/性別の意味」 169
 5. スポーツにみる〈平等〉(その2):「みるスポーツの政治経済学1」 175
 6. スポーツにみる〈平等〉(その3):「みるスポーツの政治経済学2」 179
 7. スポーツにみる〈平等〉(その4):「みるスポーツの政治経済学3」 182
 8. 近代スポーツの倫理と資本主義の精神 186
 9. スポーツにみる性差 193

【5章補足】「スポーツをすること」再考 198
  1. 「スポーツによる健康」論の再検討 198
  2. 市民ひとりひとりの健康プログラム 200 
  3. 疫学的=統計学的論証 201
  4. 学校体育をふくめたスポーツ振興の意義 204
  5. 「実社会=競争原理の教習所」という学校イメージ 208
  6. 興奮する装置としての勝負 211
  7. スポーツからの解放 212

6章 補講:「社会学って、一体なに?」 215

終章 「近代社会って、結局なに?」=少々ながめの〈まとめ〉 223
 1. 近代的身体と学校 223
 2. 現代日本には「世間」しかないのか?:お役所だけではない「官僚体制」 227
 3. 「隣人は他人」の集合地としての近代:「全員が都市住民」といううねり 231

おわりに 235


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