[目次]
日本語版に寄せて 7
謝辞 9
第1部 ヴィデオ・アートの起源――歴史的・文化的背景 11
はじめに 13
第1章 始まり ヴィデオ・アートの起源 17
第2章 国境を越えて――アーティスト・ヴィデオの黎明期における世界の動向と影響 35
第3章 テクノロジー、アクセス、コンテクスト
――社会的政治的アクティヴィストと彼らがヴィデオ・アートの発展に果たした役割 84
第4章 拡張映画――実験映画・前衛映画・アンダーグラウンド映画の影響と関係 101
第5章 ミュージック・コンクレート、フルクサス、テープループ
――録音と実験音楽がヴィデオ・アートに与えた影響と衝撃 127
第6章 理論と実践
――1970年代のテクノロジーを基盤とする実践に、理論・思想が及ぼした影響と衝撃 142
第7章 レンズを越えて――抽象ヴィデオと映像処理 154
第2部 代表的なヴィデオ・アート作品について――技術的・批評的背景 199
第8章 スタジオの内外――安価な非放送用ヴィデオの出現 201
《モニター 1》、スティーヴ・パートリッジ、イギリス、1975年/
《テレビが人々を配達する》、リチャード・セラとカーロッタ・スクールマン、アメリカ、1973年/
《これはテレビ受信機である》、デイヴィッド・ホール、イギリス、1976年/
《垂直ロール》、ジョーン・ジョナス、アメリカ、1972年/
《ヴィデオ・タッチ》、ヴォイチェフ・ブルシェウスキー、ポーランド、1977年
第9章 カッティング――身近になったヴィデオ編集 219
《マーレーンを画面の外へ》、エリック・キャメロン、カナダ、1973〜76年/
《テクノロジー/トランスフォーメーション:ワンダー・ウーマン》、
ダラ・バーンバウム、アメリカ、1978〜79年/
《子供と一緒に》、キャサリン・エルウェス、イギリス、1983年/
《ブルー・マンデー》、デュヴェ兄弟、イギリス、1984年/
《西側の生活》、クラウス・フォン・ブルッフ、ドイツ、1983年
第10章 ミキシング――電子/デジタル・イメージの操作 238
《モニュメント》、トゥーレ・ショーランダーとラース・ウェック、スウェーデン、1967年/
《マージング=エマージング》、ピーター・ドネバウアー、イギリス、1978年/
《反映するプール》、ビル・ヴィオラ、アメリカ、1977〜79年/
《オブセッシヴ・ビカミング》、ダニエル・リーヴス、イギリス、1995年/
《記憶術》、ウッディ・ヴァスルカ、アメリカ、1987年/
《ただ時だけ》、ロベール・カエン、フランス、1983年
第11章 ギャラリーが門戸を開く――ヴィデオ・インスタレーションとプロジェクション 259
《デラ》、マイケル・スノウ、カナダ、1969〜72年/
《スイマー(は頻繁にハイデルベルグへ行く)》、スタジオ・アッズーロ、イタリア、1984年/
《テレビジョン・サークル》、ジュディス・ゴダード、イギリス、1987年/
《予見された状況:儀式U》、デイヴィッド・ホール、イギリス、1988年/
《トール・シップス》、ゲイリー・ヒル、アメリカ、1992年
第3部 技術革新とアクセス性に応じたアーティスト・ヴィデオとヴィデオ・インスタレーションの発展 ?277
第12章 フィールド、ライン、フレーム――電子メディアとしてのヴィデオ 279
テレビジョン・ワークショップ:放送とケーブル/閉回路テレビの音と絵:カラーとモノクローム/
音との関係、画像信号、カメラ映像、記録とテープ
第13章 制作の手段――フェミニズムと「他者」:人種、性、技術、アクセス 302
ニューテクノロジー:歴史からの自由/パフォーマンス、ヴィデオ、親密さと「ライヴ性」/
民族、性、人種とアクセスの問題と可視性/配給と展示のオルタナティヴな手段
第14章 型破りの――ヴィデオ彫刻とヴィデオ・インスタレーション 310
ヴィデオ・インスタレーション:イメージと空間の関係性/彫刻的なインスタレーションとヴィデオ彫刻/
ヴィデオ・プロジェクション:映画それともTV?
第15章 デジタルへ――デジタル・ヴィデオ処理とデジタル・エフェクトの出現 330
デジタル・エフェクトの出現/インタラクティヴ性:新しい物語の可能性/
コンピュータ編集:ノンリニア性/ヴァーチャル/「デジタル美学」は存在するのか?
第16章 ヴィデオ・アートの終焉?――フィルムとヴィデオの境界の不明瞭化と収斂 345
収斂、最近のアーティスト・ヴィデオとフィルムと制作技術の不明瞭化
訳者あとがき 357
用語解説:専門用語と技法 360
注 367
参考文献 387
人名索引 394 |