[目次]
はしがき xv
序章 「国語」からみえるもの / みえないもの 1
1 はじめに 1
2 国語ということば 2
│ 2 ― 1 │ 制度としての国語 2
│ 2 ― 2 │ 象徴としての国語 4
3 国語と国家と政策と―国語調査委員会 6
4 国語政策と方言、そして多言語性 8
│ 4 ― 1 │ 多様性のとりこみ方 8
│ 4 ― 2 │ 社会変動とことばへの関心 10
│ 4 ― 3 │ 異言語への関心 11
5 日本語政策 12
│ 5 ― 1 │ 対外政策から対内政策へ 12
│ 5 ― 2 │ 「多文化共生」という幻想 14
│ 5 ― 3 │ やさしい日本語 15
6 おわりに―多言語へのまなざし 16
注 17
第一章 ことばをどのようにみようとしてきたのか―近代日本における「言語学」の誕生 19
1 はじめに 19
2 「博言学」ということば 23
│ 2 ― 1 │ ゴンゴ・ゲンギョ・ゲンゴ 23
│ 2 ― 2 │ 語源学から博言学へ 24
│ 2 ― 3 │ 帝国大学博言学科 29
3 帝国大学言語学 38
│ 3 ― 1 │ 博言学から言語学へ 38
│ 3 ― 2 │ 帝国大学言語学 42
│ 3 ― 3 │ 帝国大学言語学の継承 45
4 比較言語学への懐疑 48
│ 4 ― 1 │ 新村出の場合 48
│ 4 ― 2 │ 時枝誠記の場合 50
│ 4 ― 3 │ 比較から歴史へ 54
5 まとめにかえて―日本言語学のもうひとつの形 56
注 60
第二章 「言文一致」がみえなくすること─作文・日記・自伝 67
1 はじめに 67
2 日記をつけることは伝統か 71
3 作文教育のあり方 74
│ 3 ― 1 │ 「日用書類」の作成から「正確ニ思想ヲ表彰」へ 74
│ 3 ― 2 │ 作文教育と言文一致―上田万年の議論を軸に 78
│ 3 ― 2 ― 1 │ 『作文教授法』 ( 一八九五年 ) 78
│ 3 ― 2 ― 2 │ 「尋常小学の作文教授につきて」 ( 一八九五年 ) 80
│ 3 ― 2 ― 3 │ 『普通教育の危機』 ( 一九〇五年 ) 82
│ 3 ― 2 ― 4 │ 「現今の作文教授法に就て」 ( 一九〇七年 ) 84
4 作文教育の延長としての日記 85
5 日記教育の事例―南弘の娘の日記 89
6 おわりに 95
注 97
第三章 虐殺とことば―関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって 103
1 はじめに 103
│ 1 ― 1 │ 流言と「ごく普通」の人びと 103
│ 1 ― 2 │ 警視庁『大正大震火災誌』 105
│ 1 ― 3 │ ことばで区別すること 108
2 証言のなかの「一五円五〇銭」 113
│ 2 ― 1 │ 手記などのなかから 113
│ 2 ― 2 │ 「一五円五〇銭」の起源 118
3 壺井繁治「十五円五十銭」をめぐって 121
│ 3 ― 1 │ 壺井繁治の関東大震災 121
│ 3 ― 2 │ 識別法の効果 124
│ 3 ― 3 │ 後世への影響 126
4 おわりに―あらたな流言に対処するために 129
注 132
第四章 となりの朝鮮文字 141
1 はじめに 141
│ 1 ― 1 │ 言語記述という視線の不在 141
│ 1 ― 2 │ 社会調査の視線と言語記述の不在 143
│ 1 ― 3 │ 「代用」としての在日朝鮮語 144
2 関東大震災と朝鮮文字 146
│ 2 ― 1 │ 平時と非常時のあいだ―「サービス」の朝鮮語と治安対策の朝鮮語 146
│ 2 ― 2 │ 放火のデマと朝鮮文字 148
3 男子普通選挙と朝鮮語・朝鮮文字 152
4 おわりに 158
注 160
第五章 朝鮮人の言語使用はどうみえたか―村上広之の議論を中心に 163
1 はじめに 163
2 村上広之という人物 167
│ 2 ― 1 │ 言語政策はどこまで有効なのか 167
│ 2 ― 2 │ 村上広之の略歴 170
│ 2 ― 3 │ 村上広之論文の構成 174
3 村上広之の論理 179
│ 3 ― 1 │ 「部分的自発的使用」に関して―漢字の読み方 179
│ 3 ― 2 │ 「全体的自発的使用」に関して―朝鮮語方言化論 184
│ 3 ― 3 │ 「功利的目的のための手段」としての国語使用 186
4 おわりに 188
【参考資料】 190
資料一 村上広之「朝鮮に於ける国語問題―主として日常鮮語に取入れられてゐる国語について」『国語教育』二二巻八号、一九三七年八月、七四頁 190
資料二 村上広之「植民地における国語教育政策―主として朝鮮語方言化、国語標準語化の問題について」『教育』六巻六号、一九三八年六月、四三頁 192
注 194
第六章 「ひとつのことば」への道からみえるもの―斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって 201
1 はじめに―復刻にあたって 201
│ 1 ― 1 │ 斎藤秀一の略歴をめぐって 201
│ 1 ― 2 │ 『文字と言語』講読者一覧 206
│ 1 ― 3 │ 『文字と言語』に通底するもの 214
2 方言の問題について 215
│ 2 ― 1 │ 方言雑誌隆盛の時代に―『文字と言語』以前 215
│ 2 ― 2 │ 『山形県教育』への寄稿―方言とローマ字 218
│ 2 ― 3 │ 『文字と言語』へ―方言研究と文字理論の希求 221
│ 2 ― 4 │ 『文字と言語』と『東京方言集』 226
3 斎藤秀一の言語観―唯物論言語理論の影響 228
│ 3 ― 1 │ 方言と標準語・国語との関係―生産諸関係のなかで 228
│ 3 ― 2 │ 方言認識における唯物論言語理論の受容 230
│ 3 ― 2 ― 1 │ 「民衆語」と「文章語」そして「国語」と「国際語」 230
│ 3 ― 2 ― 2 │ 「国際語」としてのエスペラント 231
│ 3 ― 2 ― 3 │ エスペラントを通じた唯物論言語理論―ドレーゼン『世界語の歴史』 233
│ 3 ― 2 ― 4 │ スピリドヴィッチ『言語学と国際語』を通じた受容 234
│ 3 ― 2 ― 5 │ 理論への希求と国際主義の主張 236
│ 3 ― 3 │ 『文字と言語』のなかの唯物論言語理論 238
│ 3 ― 3 ― 1 │ つよまる唯物論言語理論への志向 238
│ 3 ― 3 ― 2 │ エスペラントとローマ字化の関係、言語帝国主義批判の視座 239
│ 3 ― 3 ― 3 │ 単一を希求することがもたらすもの 241
│ 3 ― 3 ― 4 │ どの程度共感されたか 243
│ 3 ― 4 │ 方言研究とエスペラント 243
4 中国のローマ字運動への関心 246
│ 4 ― 1 │ ラテン化新文字への理解 246
│ 4 ― 1 ― 1 │ 注音字母・注音符号と国語ローマ字 246
│ 4 ― 1 ― 2 │ ラテン化新文字と方言・大衆 247
│ 4 ― 1 ― 3 │ 斎藤秀一と葉籟士 248
│ 4 ― 2 │ 中国語学習・『支那語ローマ字化の理論』・ラテン化新文字の紹介 251
│ 4 ― 2 ― 1 │ 中国語学習の動機と方法 251
│ 4 ― 2 ― 2 │ ラテン化新文字の理念の紹介へ 253
│ 4 ― 2 ― 3 │ 魯迅・葉籟士の翻訳―『支那語ローマ字化の理論』 255
│ 4 ― 2 ― 4 │ 魯迅の翻訳五編 258
│ 4 ― 2 ― 5 │ 下瀬謙太郎への批判 262
│ 4 ― 2 ― 6 │ 斎藤秀一とさねとうけいしゅう 269
│ 4 ― 2 ― 7 │ 日中戦争の衝撃 271
│ 4 ― 2 ― 8 │ 日本からの発信 273
│ 4 ― 2 ― 9 │ 相互理解と統一戦線の結成へ 275
│ 4 ― 3 │ 外国の固有名詞表記の問題 281
5 斎藤秀一の情報網 284
6 おわりに 286
│ 6 ― 1 │ 母語への回帰 286
│ 6 ― 2 │ 忘却されないために 290
【付記】 292
注 293
第七章 「ことのはのくすし」は何をみていたのか―陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって 307
1 はじめに 307
2 下瀬謙太郎略歴 311
│ 2 ― 1 │ 『陸軍軍医学校五十年史』から 311
│ 2 ― 2 │ 軍医と言語問題―鴎外・戦史・中華民国 313
│ 2 ― 3 │ 陸軍軍医学校校長 ( 一九一三年 ~ 一九二〇年 ) として 316
3 中国と医学 318
│ 3 ― 1 │ 駐清国公使館附医官として 318
│ 3 ― 2 │ 同仁会について 321
│ 3 ― 3 │ 「メディカル・ミッション」と中国ナショナリズム 322
4 言語問題の前線へ 326
│ 4 ― 1 │ ことばへの興味―ローマ字・カナモジ・エスペラント 326
│ 4 ― 2 │ 一九二八年の転機 330
5 中国の文字改革への興味 331
│ 5 ― 1 │ 中国文字改革関連論文リスト 331
│ 5 ― 2 │ 遅れる日本での紹介 338
│ 5 ― 3 │ 集大成としての『支那語のローマ字化をめぐって』 342
│ 5 ― 4 │ 「満語カナ」への反応―日中戦争後の論調の変化 344
6 医学用語統一への道 351
│ 6 ― 1 │ 医学界・国語愛護同盟のうごき 351
│ 6 ― 2 │ 日本医学会総会の決議とその後のうごき 356
│ 6 ― 3 │ 敗戦による断絶 362
│ 6 ― 4 │ 日中医学用語統一論 364
7 おわりに 371
【参考資料】 Atarasii Sina no Kokuzi, Romazi no Mondai ( 新しい支那の国字、ローマ字の問題 )(Simose Kentaro) 『 Romazi Sekai 』一八巻一二号、一九二八年一二月、八―一一頁 ( 原文日本式ローマ字 ) 375
注 380
第八章 漢字廃止論の背景にみえるもの―敗戦直後の労働争議とからめて 391
1 はじめに―敗戦直後の漢字問題 391
│ 1 ― 1 │ 「漢字を廃止せよ」の文脈 391
│ 1 ― 2 │ 再開する国語審議会 393
│ 1 ― 3 │ 「国語民主化」をめぐる言説 394
2 「漢字を廃止せよ」と『読売報知』 396
│ 2 ― 1 │ 読売新聞と読売争議 396
│ 2 ― 2 │ 前後の社説 398
3 「漢字を廃止せよ」の内容 400
│ 3 ― 1 │ 民主化を阻害する漢字 400
│ 3 ― 2 │ 漢字の非能率と盲教育―日向利兵衛と平生釟三郎 401
│ 3 ― 3 │ 漢字と封建制と左翼ローマ字運動事件―高倉テルから片山睿へ 402
│ 3 ― 4 │ ローマ字採用論へ―アメリカ式能率と民主主義 406
│ 3 ― 5 │ 渡辺一夫の疑義 407
4 「漢字を廃止せよ」のゆくえ 409
│ 4 ― 1 │ 「民主読売」の論調 409
│ 4 ― 2 │ 第二次読売争議のあと 411
【付記】 412
注 414
第九章 スターリン言語学からみえるもの―民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって 419
1 はじめに 419
2 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」 421
│ 2 ― 1 │ その内容 422
│ 2 ― 2 │ その反応 424
│ 2 ― 3 │ マルの受容 430
│ 2 ― 3 ― 1 │ 戦前の場合 430
│ 2 ― 3 ― 2 │ 一九五〇年のマル紹介 433
│ 2 ― 3 ― 3 │ 例外的影響―唯物論的言語理論と大島義夫 ( 高木弘 ) 437
3 模倣されるスターリン 440
│ 3 ― 1 │ 『言語問題と民族問題』 440
│ 3 ― 2 │ 石母田正論文について 442
│ 3 ― 3 │ 大島義夫論文について―転向しないソビエト言語学者 448
│ 3 ― 4 │ タカクラ・テル論文について―「生産者大衆」を信じた男 450
4 おわりに 452
注 456
終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの 465
1 はじめに―社会変動と言語 465
2 語られない多言語社会 470
│ 2 ― 1 │ 移民社会論の問題 470
│ 2 ― 2 │ 多言語社会にとっての「やさしい日本語」 474
3 「やさしい日本語」は使われるのか 479
│ 3 ― 1 │ 公文書翻訳の問題 479
│ 3 ― 2 │ 「直ちに影響はない」ということ 481
│ 3 ― 3 │ 「日本語を知る」ということ 482
4 おわりにかえて 484
注 485
あとがき―初出一覧 489
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