[目次]
凡例
序章 ポスト社会主義時代の民族、宗教の展開とタタール、クリャシェン 1
1. はじめに 2
2. 旧ソ連・ロシア社会における民族と宗教 4
2.1. エスニシティと民族 4
2.2. ソ連・ロシアにおける民族とエスニシティ 9
2.3. 宗教の復興とエスニシティ 15
2.4. ポスト社会主義という視点 19
3. 研究対象−タタール、クリャシェンとタタルスタン共和国 23
3.1. タタールとクリャシェン 23
3.2. ロシアの中のタタルスタン共和国 26
4. 調査概要 31
5. 本書の構成 38
第I部 タタールの中のクリャシェン 41
第1章 受洗タタールからクリャシェン、そしてタタールへ 43
1.1 イスラームの浸透と正教改宗政策 44
1.1.1. ロシア以前の沿ヴォルガ中流域 44
1.1.2. カザン陥落と正教宣教活動 45
1.2. 受洗異族人の大量棄教とイリミンスキー 49
1.2.1. 受洗異族人の大量棄教 49
1.2.2. イリミンスキーの宣教活動 52
1.2.3. 棄教の限界とクリャシェンの名乗り 54
1.3. クリャシェンの認定からタタールへの統合 58
1.3.1. 革命とクリャシェン 58
1.3.2. クリャシェンのタタールへの「融合」 63
1.4. 歴史の狭間の存在としてのクリャシェン 71
第2章 『ジョレイハ』とクリャシェン 75
2.1 タタールとジョレイハの物語 76
2.1.1. ムスリム・アイデンティティと「ジョレイハ」の物語 76
2.1.2. イスハキーのジョレイハ 79
2.2 映画『ジョレイハ』の制作と特徴 82
2.2.1. 『ジョレイハ』映画化の試み 82
2.2.2. 映画『ジョレイハ』のあらすじ 86
2.2.3. 映画『ジョレイハ』の特徴 88
2.3 『ジョレイハ』の波紋 93
2.3.1. 『ジョレイハ』への反応 93
2.3.2. 『ジョレイハ』の描写と現実 98
2.4 「誤ったタタール」としてのクリャシェン 104
第II部 「クリャシェン」という運動 111
第3章 クリャシェン運動の勃興 113
3.1 タタール民族運動とタタルスタン共和国 114
3.1.1. ペレストロイカとタタール民族運動の開始 114
3.1.2. タタール民族運動の展開とタタルスタン共和国の確立 117
3.2 現代のタタールとイスラーム 121
3.2.1. タタールのイスラーム復興 121
3.2.2. タタールと改宗の歴史 124
3.3 クリャシェン運動の萌芽から国勢調査を巡る論争 127
3.3.1. クリャシェン運動の萌芽と組織化 127
3.3.2. 第 1 回国勢調査とタタール・クリャシェン問題 134
3.3.3. 国勢調査の結果 141
3.4 クリャシェンの焦点化 145
第4章 クリャシェン運動の公認と分裂 149
4.1. 民族運動の沈静化から公認 150
4.1.1. 運動の沈静化 150
4.1.2. 運動の公認と発展 153
4.2. 第 2 回国勢調査とクリャシェン 159
4.2.1. 第 2 回国勢調査の準備過程 159
4.2.2. 第 2 回国勢調査とクリャシェン 162
4.2.3. 国勢調査の現場で 164
4.3. クリャシェン運動の分裂 167
第5章 国勢調査と論点 171
5.1. 国勢調査とロシアの諸民族 172
5.1.1. ソ連における民族の制定と統合 172
5.1.2. 現代ロシアにおける国勢調査と民族概念の見直し 177
5.2. クリャシェンの語り方 182
5.2.1. クリャシェンの起源は何か 182
5.2.2. クリャシェンは宗教的か? 184
5.2.3. クリャシェン文化は存在するのか? 187
5.3. 民族を規定するもの 191
第III部 クリャシェンと宗教 193
第6章 クリャシェンの宗教復興と日常 195
6.1. クリャシェンと宗教意識 196
6.1.1. 無神論国家から宗教復興へ 196
6.2. 宗教と人々の結びつき 202
6.2.1. 結婚と宗教 202
6.2.2. タタールとクリャシェンの間の子供たち 206
6.2.3. 埋葬をめぐって 208
6.3. 宗教と差異の顕在化 211
第7章 エスニック・シンボルとしての教会 213
7.1. クリャシェンによる教会の復興 214
7.2. 現在の教会における活動 217
7.3. 教会への視線 223
7.4. クリャシェンと教会の現在 231
第8章 儀礼の位置 233
8.1. クリャシェンの祈願儀礼 234
8.2. コルマンの実践 238
8.2.1. コルマンの過去 238
8.2.2. シャシャウニク 241
8.2.3. コルマンの現在 243
8.3. 儀礼に向けた視線 245
8.3.1. コルマンとロシア正教会 245
8.3.2. 伝統としてのコルマン 252
8.4. コルマンとクリャシェンの現在 257
第IV部 クリャシェン文化を求めて 261
第9章 「クリャシェン文化」の現在 263
9.1. ソ連とタタルスタンにおける文化の「発展」 264
9.1.1. ソ連における民族と文化 264
9.1.2. タタルスタンにおける文化の実践 269
9.2. 「クリャシェン文化」の展示 280
9.2.1. 学校 280
9.2.2. 博物館 285
9.2.3. アンサンブル 289
9.3. クリャシェンを語る場 294
第10章 「クリャシェン文化」のハイライト 297
10.1. タタール文化の祭典としてのサバントゥイ 298
10.1.1. タタールとサバントゥイ 298
10.1.2. サバントゥイのポリティクス 302
10.2. クリャシェンとピトラウの展開 311
10.2.1. ピトラウの変遷 311
10.2.2. クリャシェンの祝祭としてのピトラウ 315
10.2.3. ピトラウへの視線 322
10.3. 祝祭のポリティクス 327
結論 329
1. クリャシェン・エスニシティの発現から民族の名乗り 330
2. 現代ロシアにおける宗教とエスニシティ 333
3. 民族を語る装置 338
4. 狭間の解消と民族という拘束 342
参考文献一覧 347
あとがき 374 |