[目次]
序章 問題の所在 009
1. 前著出版後のこと 009
2. 問題の所在 010
3. 先行研究 012
4. 資料と方法 016
5. 本書の構成 016
第1章 呼称から考える 「アイヌ民族」 と 「日本人」 の関係 ― 名付けることと名乗ること 021
1. はじめに 021
2. 民族呼称を考える枠組み ― 名付けと名乗り 022
3. 「アイヌ」「旧土人」「ウタリ」「アイヌ系」「アイヌ民族」 025
3.1. 「旧土人」という名付けとそれに対する名乗り 025
3.2. 「アイヌ系(日本人)」 ― 「同化」へと向かうベクトルの途上 029
3.3. 「ウタリ」から再び「アイヌ(民族)」へ? 031
4. 「日本人」の呼称とその内容 ― 今後の課題 035
第2章 『旅』 は誘う ― 観光雑誌と執筆者・読者の 「北海道」と 「アイヌ」 041
1. はじめに 041
2. 観光雑誌を編集するまなざし 042
3. 『旅』の誌面に現れた「北海道」と「アイヌ」 046
3.1. 『旅』の概要 046
3.2. 北海道関係記事の概要 ― イメージと傾向 047
3.3. 北海道らしさを構成する要素 049
3.3.1. 戦前期 049
3.3.1.1. 「自然」と「文化」、「アイヌ」 049
3.3.1.2. 「理系」記述に混在する「人文」要素 051
3.3.1.3. 「アイヌ」の表象 052
3.3.2. 戦前期 055
3.3.2.1. 特集から 055
3.3.2.2. 「地の果て」への収斂 056
3.3.2.3. 「道民」の登場 ― 「生活」・「ふるさと」・「開拓」・「味」 058
3.3.2.4. 「アイヌ」へのまなざし 061
3.3.2.4.1. 道内在住“識者”たちの見解 061
3.3.2.4.2. 混乱と矛盾 063
3.3.2.4.3. まなざしを引き受ける/引き受けない 066
3.3.2.4.4. 変化の予感? 069
4. おわりに ― 「深く見る」ことの意味とポエティック路線への退行題 069
第3章 メディア・イベントとしての北海道「探検」 077
1. はじめに ― なぜ探検か、なぜメディア・イベントか 077
2. 戦後期の探検論と開拓・開発 079
2.1. 松浦武四郎の顕彰 079
2.2. 同時代の探検論 082
3. 新聞社のメディア・イベント ― 北海タイムスの「北海道探検隊」 085
4. 「探検」の後で 090
第4章 アイヌの写真を撮る/見るまなざし ― 1950 ― 70年代前半の写真雑誌と掛川源一郎 095
1. はじめに 095
2. 戦後期写真雑誌に見るアイヌ関連写真 098
2.1. 写真雑誌とリアリズム運動 098
2.2. 写真雑誌におけるアイヌ関連写真の傾向 099
3. 掛川の写したアイヌ関連写真 102
3.1. 生活者への目線 102
3.2. 「語り部」になることとマスターナラティブ 106
4. おわりに ― 掛川写真の新たな評価と今後の課題 111
第5章 アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの ― 過去の「露頭」の発見と発掘 121
1. はじめに ― 問題の所在 121
2. 無意識に読者を飼い慣らす新聞記事 123
2.1. “偉大な研究者とその一家”を表彰する 123
2.2. 人骨をネタ化する 127
3. 過去の「露頭」を再発見する 134
第6章 アイヌ政策の分析枠組み ― 強制された「共生」の構造 141
1. はじめに 141
2. 鍵概念の説明 142
2.1. アイヌ政策複合体 142
2.2. 主流化と周辺化 143
2.3. 政策の変容段階と共依存構造 144
2.4. 制度化されたレイシズム 145
3. 「アイヌ政策複合体」の形成 ― 有識者懇談会から政策推進会議へ 147
3.1. 形成初期 ― 「アイヌ新法」から「アイヌ文化振興法」へ 147
3.2. 政策発展期 ― アイヌ政策推進会議の設置と「民族共生の象徴となる空間」 148
4. アイヌ政策複合体の基本構造と特質 150
4.1. アイヌ政策推進会議の「有識者」性と近代的閉鎖性 150
4.2. 産学官連携体制としてのアイヌ政策推進会議、共依存構造としての産学官連携 152
4.3. 主流化と周辺化,および制度化されたレイシズム 155
4.4. 強制された「共生」 157
5. おわりに 158
第7章 五十嵐広三旭川市長とアイヌ民族 ― 「北海道アイヌ祭り」と北海道旧土人保護法存廃論争を中心に 163
1. はじめに 163
2. 「北海道アイヌ祭り」 166
2.1. 旭川市長当選と祭りの構想 166
2.2. 祭りの準備とアイヌの反応 170
2.3. 祭りの実施とその後 176
3. 北海道旧土人保護法存廃論争 179
3.1. 五十嵐の関与と問題認識 179
3.2. 『コタンの痕跡』と「旧土人保護法とウタリ」 184
3.3. 「風雪の群像」爆破事件、北海道ウタリ福祉対策 189
4. 五十嵐市長の対アイヌ民族施策の評価 ― 「功罪半ば」と当事者性 192
第8章 「アイヌ研究」と社会学のかすかな接点 ― ある社会学者の関与と撤退 205
1. はじめに ― 「アイヌ研究」における社会学 205
2. マジョリティとしての当事者性 207
3. 関清秀の経歴と研究分野の特徴 211
4. 帯広調査 213
4.1. 帯広におけるアイヌと社会福祉 213
4.2. 関の「アイヌ研究」への参与 215
5. 日高調査と撤退 218
5.1. 日高調査 218
5.2. 撤退の理由 220
6. 撤退後のこと 222
7. おわりに 225
終章 本書の到達点と今後の課題 231
1. 各章のまとめと補足 231
2. 和人の当事者性 ― 「やっかいごと」と「ありがたがられ効果」 234
3. 失敗してきた「国民に対する知識の普及及び啓発」 239
4. マスターナラティブとしての「開発」 241
5. 今後の課題 244
あとがき 248
参考文献 252 |