台湾民主化の先駆者 雷震伝

[著者]薛化元
[訳者]深串徹

中国大陸出身で、国民党幹部であった雷震。しかし、リベラルな政論雑誌『自由中国』誌の責任者としての言動が?介石の忌諱に触れ、1960年から10年間を獄中で過ごす。雷震とその同志たちが生涯をかけて自由と民主憲政を追求した姿は、70年代以後の台湾民主化運動の重要な思想的資源となり、後続世代の政治運動家たちに継承されていく。20世紀、中国・台湾の激動の時代を生きぬいた雷震の生涯を膨大な史資料から克明に描き出した労作。

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定価=本体 6,500円+税
2025年2月1日A5判並製/492頁/ISBN978-4-88303-603-5


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[目次]

自序  iii
注  vi

まえがき  1
一、雷震の歴史的役割  1
   (一)三党共同での憲法制定と憲政施行の促進  2
   (二)「擁?反共」から国民党当局の批判へ  3
   (三)反対運動への加入と継承  5
二、雷震研究の回顧と資料について  7
三、本書の章立て  8
   注  9

第一章 成長と家庭生活  13
第一節 成長と、年少の頃の学習の経歴  14
一、家柄の背景と学識の形成  14
二、父親の病死と強盗事件  18
三、近代知識の学習と愛国運動への参加  21
   注  24
第二節 日本留学  27
一、中華革命党への加入  27
二、「授業ボイコット帰国」運動と新聞発行による救国活動  29
三、名古屋八高での勉強  32
四、京都帝国大学への入学  36
五、森口繁治と佐々木惣一の影響  38
六、東山銀閣寺での学究生活  41
七、中日間を行き来して、認識を深める  42
八、帰国して校長に任命される  45
   注  47
第三節 結婚と家庭生活  54
一、結婚と恋愛について  54
二、対日戦争による移転  58
三、雷震一家の台湾移転  60
   注  62

第二章 中国大陸時期における政治生活  67
第一節 第二次世界大戦終結以前の政治経験  68
一、国民政府への参加  68
   (一)法制局から銓叙部へ  68
   (二)教育部時代  71
二、国民参政会の準備  73
三、各政党との意思疎通と協議  76
   (一)民主同盟の成立  77
   (二)参政会の「当家婆」  79
   注  82
第二節 政治協商会議  89
一、政治協商会議の背景  89
二、政治協商会議の開催  91
   (一)政治協商会議の開催と人事  92
   (二)議題ごとの組分けと討論  94
三、政治協商会議憲法草案の波瀾  96
   (一)孫科の重要な役割  97
   (二)政治協商会議決議の再度の行き詰まり  100
   注  103
第三節 制憲国民大会  110
一、制憲国民大会の手続きをめぐる論争  110
   (一)南京で一番多忙な人間  111
   (二)諸党派を抱き込み、国民大会に参加させる  114
   (三)?介石の声明  115
二、民、青両党を説得し、行き詰まりを打開する  117
   (一)政協憲草の基本原則の確認  119
   (二)国民党による「一党単独開催」の回避  121
   (三)国民党団領袖の支持を得る  124
   注  126
第四節 国民政府の改組と憲政の施行  131
一、国民政府の改組  131
   (一)連合政府の推進  132
   (二)国民政府委員のポスト配分  134
   (三)民社党内部の分裂  137
二、憲法施行と中央民意代表の選挙、および人事の協議  138
   注  142
第五節 一九四九年の変局下における選択  147
一、一九四九年の大変局と「擁?反共」  147
二、「自由中国運動」と『自由中国』の創立  149
   (一)「自由中国社」と出版計画  151
   (二)?介石と陳誠の支持を得る  153
   (三)台湾における準備状況  155
   (四)胡適が発行人に就任する  157
三、一九四九年の政治・軍事の実務への参与  159
   (一)行動で、湯恩伯に抗議を示す  160
   (二)上海、厦門の相次ぐ陥落  163
   注  165

第三章 『自由中国』時期  175
第一節 「擁?反共」の時期  176
一、「自由中国運動」と「擁?反共」路線の継続  176
二、香港への慰問(第一回)と、帰台後の活動  182
   (一)『香港時報』の経営問題  182
   (二)香港における反共人士の考え方を理解する  184
三、第二回目の香港慰問の旅  187
   (一)在香港の反共人士を援護する  188
   (二)?氏父子との関係の転換  192
   注  193
第二節 衝突の増加  201
一、社説「政府不可誘民入罪」の意義とその影響  201
   (一)応答の文章が大幅に修正される  202
   (二)胡適の書簡を公に掲載する  205
   (三)国民党上層部との関係が日増しに疎遠になる  208
   (四)中日文化経済協会の成立  211
二、軍部による閲読禁止から、雷震の国民党離脱まで  212
   (一)国策顧問の職から罷免される  214
   (二)国民党籍を抹消される  217
   注  220
第三節 国民党当局による抑圧  227
一、訪米の招待に応じられなくなる  227
   (一)あちこちを奔走するも、結果は出ず  228
   (二)?介石総統、あくまで許可せず  231
二、教育部門での抑圧と、孫元錦事件  234
   注  238
第四節 「祝寿専号」事件  243
一、「祝寿専号」の発表  243
二、国民党当局の反応と攻撃  246
三、友人たちの配慮と取りなし  251
   注  253
第五節 「今日的問題」シリーズ  258
一、「今日的問題」の登場  258
二、反攻絶望論  260
三、「小地盤、大機構」と、「我們的地方政制」  263
四、「今日的問題」シリーズ後の言論問題  266
   注  270
第六節 出版法の改正と「軍人と狗」事件  275
一、「出版法」の改正と田雨専案の萌芽  275
二、陳懐h事件と「容認與自由」  279
   (一)輿論から司法への発展  279
   (二)雷震の対応と友人たちの協力  283
   (三)胡適の文章掲載の余波  289
   注  291
第七節 総統三選への反対  299
一、憲法違反の三選  299
二、臨時条項の修正  304
  注  308
第八節 政党結成運動による受難  315
一、反対党必要論の発展と実行  315
二、新党運動に積極的に参画する  321
   注  325

第四章 『自由中国』時期以降  331
第一節 雷震事件の勃発と当局による処理  332
一、?介石の態度  332
二、雷震の逮捕と留置場での生活  337
   (一)「反乱容疑」での逮捕  337
   (二)留置場の日々  340
   注  342
第二節 判決前後における救援活動  347
一、拘留期間中の家族による救援  347
二、起訴、審理と処罰の過程における協力  350
三、判決理由の点検  353
四、非常裁判の申請却下  356
五、連署による総統への特赦請求  357
六、各界からの雷震への声援  358
   (一)外省籍リベラル派  358
   (二)台湾籍エリート  364
七、監察院雷震事件調査小組  367
   注  368
第三節 『自由中国』の命運と獄中での歳月  377
一、『自由中国』の停刊  377
二、十年の牢獄での生活  381
   (一)獄中での待遇  381
   (二)出獄の際に受けた迫害  387
   注  389
第四節 国家アイデンティティの進展と憲政構想  396
一、国家アイデンティティの転換  396
二、「二つの中国」の主張と「救亡図存献議」の提出  399
   (一)「二つの中国」の主張の確立  399
   (二)「救亡図存献議」の起草と発展  400
   (三)「救亡図存献議」の内容の意義  404
   注  411
第五節 民主化運動の継承と発展  415
一、国民党当局の雷震と党外選挙に対する「関心」  415
二、一九七〇年代における雷震の交流人脈  417
三、雷震による改革の主張の意義とその影響  422
   注  427

結論に代えて 雷震と民主憲政の追求  430
一、政党協商、憲法の制定から施行へ  430
二、中国から台湾への連結―「自由中国運動」  432
三、一九五〇年代台湾の民主化運動に於ける雷震  434
   (一)反対党の主張の発展と実行  435
   (二)?介石総統の権力拡大への批判  438
   (三)既存の体制下での制度改革をめぐる思考  440
   (四)国家の位置づけと民主的改革の連結  442
四、自由の回復と、後に続く民主憲政の追求  444
五、自由民主を優位とする価値のために歩み続けた人生  445
   注  447

訳者あとがき  449
参考文献