[目次]
自序 iii
注 vi
まえがき 1
一、雷震の歴史的役割 1
(一)三党共同での憲法制定と憲政施行の促進 2
(二)「擁?反共」から国民党当局の批判へ 3
(三)反対運動への加入と継承 5
二、雷震研究の回顧と資料について 7
三、本書の章立て 8
注 9
第一章 成長と家庭生活 13
第一節 成長と、年少の頃の学習の経歴 14
一、家柄の背景と学識の形成 14
二、父親の病死と強盗事件 18
三、近代知識の学習と愛国運動への参加 21
注 24
第二節 日本留学 27
一、中華革命党への加入 27
二、「授業ボイコット帰国」運動と新聞発行による救国活動 29
三、名古屋八高での勉強 32
四、京都帝国大学への入学 36
五、森口繁治と佐々木惣一の影響 38
六、東山銀閣寺での学究生活 41
七、中日間を行き来して、認識を深める 42
八、帰国して校長に任命される 45
注 47
第三節 結婚と家庭生活 54
一、結婚と恋愛について 54
二、対日戦争による移転 58
三、雷震一家の台湾移転 60
注 62
第二章 中国大陸時期における政治生活 67
第一節 第二次世界大戦終結以前の政治経験 68
一、国民政府への参加 68
(一)法制局から銓叙部へ 68
(二)教育部時代 71
二、国民参政会の準備 73
三、各政党との意思疎通と協議 76
(一)民主同盟の成立 77
(二)参政会の「当家婆」 79
注 82
第二節 政治協商会議 89
一、政治協商会議の背景 89
二、政治協商会議の開催 91
(一)政治協商会議の開催と人事 92
(二)議題ごとの組分けと討論 94
三、政治協商会議憲法草案の波瀾 96
(一)孫科の重要な役割 97
(二)政治協商会議決議の再度の行き詰まり 100
注 103
第三節 制憲国民大会 110
一、制憲国民大会の手続きをめぐる論争 110
(一)南京で一番多忙な人間 111
(二)諸党派を抱き込み、国民大会に参加させる 114
(三)?介石の声明 115
二、民、青両党を説得し、行き詰まりを打開する 117
(一)政協憲草の基本原則の確認 119
(二)国民党による「一党単独開催」の回避 121
(三)国民党団領袖の支持を得る 124
注 126
第四節 国民政府の改組と憲政の施行 131
一、国民政府の改組 131
(一)連合政府の推進 132
(二)国民政府委員のポスト配分 134
(三)民社党内部の分裂 137
二、憲法施行と中央民意代表の選挙、および人事の協議 138
注 142
第五節 一九四九年の変局下における選択 147
一、一九四九年の大変局と「擁?反共」 147
二、「自由中国運動」と『自由中国』の創立 149
(一)「自由中国社」と出版計画 151
(二)?介石と陳誠の支持を得る 153
(三)台湾における準備状況 155
(四)胡適が発行人に就任する 157
三、一九四九年の政治・軍事の実務への参与 159
(一)行動で、湯恩伯に抗議を示す 160
(二)上海、厦門の相次ぐ陥落 163
注 165
第三章 『自由中国』時期 175
第一節 「擁?反共」の時期 176
一、「自由中国運動」と「擁?反共」路線の継続 176
二、香港への慰問(第一回)と、帰台後の活動 182
(一)『香港時報』の経営問題 182
(二)香港における反共人士の考え方を理解する 184
三、第二回目の香港慰問の旅 187
(一)在香港の反共人士を援護する 188
(二)?氏父子との関係の転換 192
注 193
第二節 衝突の増加 201
一、社説「政府不可誘民入罪」の意義とその影響 201
(一)応答の文章が大幅に修正される 202
(二)胡適の書簡を公に掲載する 205
(三)国民党上層部との関係が日増しに疎遠になる 208
(四)中日文化経済協会の成立 211
二、軍部による閲読禁止から、雷震の国民党離脱まで 212
(一)国策顧問の職から罷免される 214
(二)国民党籍を抹消される 217
注 220
第三節 国民党当局による抑圧 227
一、訪米の招待に応じられなくなる 227
(一)あちこちを奔走するも、結果は出ず 228
(二)?介石総統、あくまで許可せず 231
二、教育部門での抑圧と、孫元錦事件 234
注 238
第四節 「祝寿専号」事件 243
一、「祝寿専号」の発表 243
二、国民党当局の反応と攻撃 246
三、友人たちの配慮と取りなし 251
注 253
第五節 「今日的問題」シリーズ 258
一、「今日的問題」の登場 258
二、反攻絶望論 260
三、「小地盤、大機構」と、「我們的地方政制」 263
四、「今日的問題」シリーズ後の言論問題 266
注 270
第六節 出版法の改正と「軍人と狗」事件 275
一、「出版法」の改正と田雨専案の萌芽 275
二、陳懐h事件と「容認與自由」 279
(一)輿論から司法への発展 279
(二)雷震の対応と友人たちの協力 283
(三)胡適の文章掲載の余波 289
注 291
第七節 総統三選への反対 299
一、憲法違反の三選 299
二、臨時条項の修正 304
注 308
第八節 政党結成運動による受難 315
一、反対党必要論の発展と実行 315
二、新党運動に積極的に参画する 321
注 325
第四章 『自由中国』時期以降 331
第一節 雷震事件の勃発と当局による処理 332
一、?介石の態度 332
二、雷震の逮捕と留置場での生活 337
(一)「反乱容疑」での逮捕 337
(二)留置場の日々 340
注 342
第二節 判決前後における救援活動 347
一、拘留期間中の家族による救援 347
二、起訴、審理と処罰の過程における協力 350
三、判決理由の点検 353
四、非常裁判の申請却下 356
五、連署による総統への特赦請求 357
六、各界からの雷震への声援 358
(一)外省籍リベラル派 358
(二)台湾籍エリート 364
七、監察院雷震事件調査小組 367
注 368
第三節 『自由中国』の命運と獄中での歳月 377
一、『自由中国』の停刊 377
二、十年の牢獄での生活 381
(一)獄中での待遇 381
(二)出獄の際に受けた迫害 387
注 389
第四節 国家アイデンティティの進展と憲政構想 396
一、国家アイデンティティの転換 396
二、「二つの中国」の主張と「救亡図存献議」の提出 399
(一)「二つの中国」の主張の確立 399
(二)「救亡図存献議」の起草と発展 400
(三)「救亡図存献議」の内容の意義 404
注 411
第五節 民主化運動の継承と発展 415
一、国民党当局の雷震と党外選挙に対する「関心」 415
二、一九七〇年代における雷震の交流人脈 417
三、雷震による改革の主張の意義とその影響 422
注 427
結論に代えて 雷震と民主憲政の追求 430
一、政党協商、憲法の制定から施行へ 430
二、中国から台湾への連結―「自由中国運動」 432
三、一九五〇年代台湾の民主化運動に於ける雷震 434
(一)反対党の主張の発展と実行 435
(二)?介石総統の権力拡大への批判 438
(三)既存の体制下での制度改革をめぐる思考 440
(四)国家の位置づけと民主的改革の連結 442
四、自由の回復と、後に続く民主憲政の追求 444
五、自由民主を優位とする価値のために歩み続けた人生 445
注 447
訳者あとがき 449
参考文献
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